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経営者プロフィール

 
 


☆農業体験、新たな経営発想、「命」を
テーマとして講演もさせていただきます。
私たちが心をこめて育てています!!

 22年間のコンピュータ会社勤めに終止符を打ち、人生の再出発は、自然と命が共生する農業の世界でした。

 極力農薬を使わず、安心・安全で美味しいイチゴを、市場を通さず生協産直と観光農園というかたちで販売しています。

 消費者との間に信頼関係を築くため、イチゴ作りを通して、命をテーマにした子供たちの農業体験の受け入れ、授産施設・デイケアのお年寄りとの触れ合い、もぎたてイチゴでジャムやいちご大福作りと、教育との融合、福祉との融合、観光との融合を目指しております。

 目標は農業のディズニーランド。イチゴの苗が親株からランナーが伸びて増えていくように私たちの夢も広がって行きます。

 
 ・1992年 大手コンピュータ会社 鹿児島支店長就任 全国最年少40歳、部下42人
 ・1995年 三月:父他界、六月:大阪へ転勤の内示、退職
 ・1996年 就農、前田浩一 43歳、妻:より子 39歳、子供4人
        7月10日 台風8号 昼過ぎに薩摩半島南部に上陸
        栽培面積 27アール
 ・2001年 栽培面積 47アール
 ・2004年 栽培面積 63アール
 

元支店長の挑戦 (南日本新聞 98/4/9掲載より)

 
 元大手コンピュータ会社の鹿児島支店長。四十二人の部下を率いていた。その地位と経済的に安定した生活を投げ捨てて、農業の世界に飛び込んだ。「組織の中で窮屈だった。たった一度の人生、もう一度ゼロから自分の中で何かをやりたかった」。

 仕事一筋の生活だった。月に四回、五回の出張。帰るのは毎晩十一時、十二時。四人の子供たちと顔をあわせることもなく、いつも寝顔だけ。「いま思えば自分を失いかけていたのかもしれない」。そんな生活の中で、三十代後半から漫然と「農業は誰からも制約を受けない」とあこがれを抱き続けていたという。
 

安定を捨て

 
 一九九五(平成七)年、人生の選択を迫られる二つの出来事が起こる。三月、知覧に住む父が他界。母が残された。さらに六月、本部の部長として大阪への転勤を内示されたのだ。これからの人生を真剣に考えた。農業が頭の中で大きくクローズアップ されてきた。

 だが農業の経験は無く、家庭菜園さえしたことがない。「農業で食べていけるの」。妻・より子さんはもちろん知覧の同級生たちも反対した。「知覧か、大阪か、一ヶ月間迷い続けた」。

 そんなとき、一人の農家と出会う。日置郡東市来町にあるその農園に家族でブドウ狩りに行った。立派に成り立っている農業経営者を目の当りにし、農園主が言う。「農業はやり方次第」の言葉に迷いが吹っ切れた。より子さんを説得するために、資料をかき集め、パソコンで収支を計算、経営が成り立つことを数字で示し、やっと同意を得た。
 

農園に活路

 
 就農は九六年三月。その夏、二つの台風が襲った。イチゴの苗にかぶせたシートがめくれ上がった。祈るような気持ちで育ててきた苗、激しい暴風雨の中、夫婦で顔をゆがめながらシートを手で押さえた。次の台風では家族全員でシートを張った。今まで皆で一つのことをすることはなかった。家族のきずなが深まった。これで農業をやる自信がわいたという。十月末、初めてイチゴの花が咲いた。二万株のうちのたった一輪。子供たちが手をたたいて喜んだ。

 現在(98年4月)、収穫したイチゴの半分を生協かせだ店に産直で出荷する。残りが直売や観光農園。新鮮さにこだわり、有機・減農薬にこだわる。一年目、おいしさが口コミで評判を呼び、千八百人が来園した。今年も順調だ。「農業は楽しい。サラリーマンの時 の精神的なストレスもない。将来は農業のテーマパークをつくりたい」。元支店長の挑戦は広がる。
 

新 聞 掲 載 な ど

 
リビングかごしまに掲載された記事です。
   2003年11月29日 ゆっくり、しっかり。スローフードをつくるひと
南日本新聞に掲載された記事です。
   1998年4月9日 かごしま農林水産 人いきいき 「元支店長の挑戦」
   2000年2月24日 生き方さがし〜就農者たちの挑戦〜
 
日本経済新聞に掲載された記事です。
   2001年8月3日 フロンティア九州 人材を掘る 「ITから農業まで」

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